第2章 ワラジをはいた猫ー1/2(2006.7.13記事)
絵描きというのは、一般の人が思っているほど極楽トンボでもなければ、時間に自堕落な生活をしている人間ではないのである。
本音を言えば、水をかぶる修行僧のように己の才能を磨き、時間を気にしながら走るマラソン選手のように息を切らして生きている。
だのに、ときどき誤解をうけるのである。
『モシモシ、イデちゃん?ご無沙汰しています。お元気?突然でなんだけど、うちのネ、子を預かってくれない?』
『子供?』
『うちのネ・コ。』
ときどき、女性の要望というか依頼というものは、どこが頭だか尻尾だか解らない。
『ネコ?シッポ踏んだらギャーと悲鳴あげる猫のこと?ボクつきあったことなから、世話できない。』
『簡単よお。 あなたは独身だし、いつも家に居るから預けても安心なの。
それに、あなた、動物好きでしょ。よく動物描いているじゃない。ラクーン、フクロウ、狸に狐や犬や猫。たったの3ヶ月よ。』
と指折り数え、まるで値段を値切るように言った。
『そう、そう、今度出版されるあなたの本の表紙の猫、あの子よ。
大きくなったワ。いまさら知らないって、それは冷たいワよ。』
預かる理由も解らず、シドロモドロのところへ恨みつらみに義理人情をからめてせめてくる。
『わかった。わかったよ。 でも、どうして預けなきゃならないの?』
確かに、言われるとおり独身で気ままな状況にある。また、義理もあれば、多少多めに人情もある。傍目には、時間もてあまして、家でブラブラしているように見えるだろうが、猫に手を貸すほど暇じゃない。しかも、ボクの手が、猫ジャラシか孫の手になるのも間尺にあわない。
(なぜ、猫と同棲しなきゃならないのか?)
突然、振られた昔の恋の原因が、堤を破った土水流の』如く流れこんできた。
粗大ゴミを拾っただけで、ー反容姿端麗、横着、我儘、甲斐性無し。
そんなボクにまともな女性がすりよって来るはずもない。
せいぜい、あてがわれるの者は、猫くらいかと情け無くなってきた。(1/2)
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