リバーデールの陽気な午後

03 はじめに・・・井手孝より

NY Letter 掲載変更について
最近、日本での生活が半年以上を超えることになりNY Letterの掲載を休む事が多くなりました。
またNYにいてもブログで日常のことを書いてしまうので、NYのトピック性がだぶるようになてきました。
ちょっと、視点をかえて、ボクのエッセイを連載しようと思います。
「リバーデールの陽気な午後」
このエッセイは、猫とボクの「心の対話」のノンフィクションの物語です。
ユーモア溢れる日常風景です。
登場人物に関しては、誇張と誤字と不適格で表現不足な点がありますが、ご了承ください。
猫好きな人、あるいは猫嫌いな人も1度まじめに読んでください。
12章からなる22回ー24回の掲載になります。
宜しくお願いしします。

2010年6月27日 (日)

陽だまりの中でー2/2(2007.2.26記事)

また、また大学時代を思い出した。
2年生の期末試験を、大講義室で受けていたときのことである。
『キサマだあー!』
後ろのほうで、監督の教官がどなっている。
当時は大学紛争の真っ只中で、学内は紛然とした時代で皆イラだって大声で叫び狂っていたから、ノンポリのボクには関係ないものと答案書くのに必死だった。
『貴様だ。何をしている。ここをどこと心得る。不届き者!』
頭の天辺に雷が落ちてきた。
自分でも気が着かぬうちに、ボクはタバコを吸っていたのである。
どのように謝り弁解し、許してもらったかわからないが、何とか許してもらい、単位もとれた。
それから数ヵ月後、ゼミクラスの面接があって教授室へ行った。
ノックをして部屋に入ると3人の教授がおられ、椅子に座り正面を向くと、あの雷を落とした教官がその中の一人であった。
(コリャ、アカン)
無恥、未熟、怠惰、自堕落で招いた恥、ドジ、失恋、失敗の人災は数々あれど、天災(雷)が忘れたころにやってきた。
冷や汗、脂汗を流していると、その教授が言われた。
『貴君とは、どこかで会ったような気がするな、はてな。』
ボクは、もともと論理的に意見を言えないので面接自体も煙に巻いたように合格してしまった。
その後2年間教授にお世話になったが、幸いにも『はてな。』の件は思い出さずか、意に介してない様子で、ボクも喉もと過ぎれば熱さを忘れ、厚かましい学生であった。

オゴゼは、ときどきプラスチックの買い物袋を食べることがある。
知らなかったのだが、猫は異物を食って、自分で嘗めて飲み込んだ毛を一緒に吐き出すそうだ。
ボクに怒られた一件はそれである。
押し入れの布団の脇に(ゲッ、ゲッ、ゲッ。)とやっていたのである。
『貴様!そこで何をしておる。そこをどこと心得ている。不届き者!』
(あれ、どこかで聴いたようなセリフだな、はてな。)
怒鳴りながら、思った。

陽だまりの中でうたた寝をしているオゴゼを見ていると、
『まっ、いいか。』
と言ったーいままでボクの悪戯、失敗を許してくれたー人の笑顔が浮かんでくる。
喜怒哀楽、相愛憎愛、私利私欲無私無欲を透かして見れば、
また、別の世界の色合いが見えるようだ。

第11章 陽だまりの中-1/2 (2007.2.20記事)

日本での個展が近づいてきて、ボクは追い込みで絵の制作に熱中している。
オゴゼは、相手になってやらなくても、退屈した様子もなく日長一日自分のペー スで過ごしている。
夜になると、ボクの作業机の一角にねそべる。
そこは絵の具、えんぴつ、灰皿等が乱雑にころがっていて居心地はよくないはずなのに気に入っているようだ。
うたた寝をしながら、ときには薄目でボクの絵を眺めている。
また、背中を向けてドテっと寝込んでいるときもある。
作品製作の合間合間に、そんなオゴゼのズボラな姿勢をスケッチした。
それが、随分たまった。
「いつか、これらのスケッチをもとに『猫展』をやろう。」
ウッシッシと悪巧みをおもいついたときのようなくすぐったい気分である。

飼い主の話では、オゴゼは慣れてくると布団の中にもぐりこんで来て寝るという ことであったが、いまだ1度もない。
ボクは寝相が悪く鼾をかくそうだが、理由はどうやらそれではなさそうだ。
ボクがソファーでうたた寝したり、本を読んだりしていると腹の上に乗ってきて遊ぶ。
彼女には猫なりの倫理があるようだ。
ボケーとボクを見ているようで、実はしっかり眺めているのだろう。
そして自分の世界ももっているのであろう。だから、ボクが絵を描いているときは邪魔をしないし、手紙を書いたり本を読んだりしているときは「ちょっと、遊んでやろうか。」という態度で寄って来る。
よく考えてみるとボクより猫であるオゴゼのほうが倫理観を持ち自己管理して生きているようなきがする。
しかし、ときどき性癖というかエチケットの違いから、ぶつかることがある。
今日はボクに怒られたのだが、もう以前みたいに拗ねることもなく横で寝そべっている。

第10章 猫とボクの関係  (2007.1.14記事)

 かって書生とか下宿人とか同居人とか居候という人種がいた。
家族の一員としては、非常にあいまいな立場の人間である。
ー 居候 3杯目を そっと出し
という川柳がある。
ボクの家にもいずれにあたるのか解らないが、そんな人がいた。
「タカシ!タバコを買って来い。」とか、
「タカシ!ちょっとは、勉強せい。」とか
兄貴以上に横柄であった。

オゴゼは、ボクのペットではない。
ボクの住居を、我が家同然として共有生活をしている。
以前ならばお客が来ると、どこかに隠れて出てこなかったものだが
今では主人然として迎え、足元から顔っつらまでベローと舐め上げ
て風采人格まで品定めする。
また、彼女にはボクの外出が事前にわかるようで、まとわりつき、
『ミャー、ミャー』
と鳴く。
曰く
『金もないくせに、飲みに行くの、やめとき!』
曰く
『酔っ払うと、下品な冗談や面白くもない駄洒落を言って、ヒンシュク
を買うわよ。』
曰く
『飲みすぎて、二日酔いでもう酒やめた、苦しい気分が悪い、仕事
する気にならんとぼやくでしょう。』
という具合である。

 夕空に、猫の尻尾をおっ立てたような細い下弦の月が出ている。
ボクは、オゴゼの苦言、助言をふりっきって、
『猫にだって、サカリってもんがあるだろう。ボクにだって胸掻き毟りたくな
るよな夜もあるのだ。』
と家を出る。
深夜、
(うかれ猫 奇妙にコゲテ もどりけりー小林 一茶句)
帰宅すると、彼女は義理堅く正座して三つ指ついて玄関で出迎える
のである。
『家主が、機嫌よく帰ったら招き猫にならんと、いかんヨ。』
生意気に、多少不機嫌である。
『そうか、土産か?忘れとった。ごめん!代わりにシャンソンを聴かせて
やろう。』
と、越路吹雪の(愛の賛歌)を歌ってやると、騒音程度にしか思わず、
サッサと自分のベッドにもぐりこんでしまった。
『コレ、コレ。優しさが解らぬと、来世も猫に生まれるぞ。』

 ボクは、高校入学と同時に下宿生活に入った。
2年生になったとき、同級生の辻川君が、
『オイの家で、自炊ば一緒にやらんか?』
と言った。
ボクの下宿代と彼の生活費を合わせると、うまい物が食えると言う。
が、ボクは炊事洗濯の経験など皆目無かった。
彼は、両親が長崎市内に在り、実家でおばあちゃんと2人暮らしであ
ったが、昨年亡くなられたのである。
『飯の炊き方や味噌汁の作り方は、オイが教ゆるけん、心配なか。』
ボクらは、食い盛りの欠食児童であった。
また、2人とも美大を受験しようと思っていた。
一緒に絵が描けるというわけである。
彼の家は広い敷地の中に建てられた旧家で、裏には竹林があり風の
強い日には、ザワザワとお化けが騒ぐような音がする。
淋しくて怖くてとても独りじゃ住めないが、腹いっぱい食えるということと
絵が描けるという魅力がまさった。
ボクは、彼に負んぶに抱っこの自炊生活の居候身分の2年間であった。
夜、7時8時頃になると先輩同級生後輩がやって来て、将棋を指す者
、受験勉強する者、タバコを吸う者が得手勝手に過ごしていた。
いま、振り返れってみれば、猫の集会所のようであった。
辻川君とは、卒業以来音信不通である。
当時は何も考えず世話になりっぱなしで、感謝しなければならないことば
かりである。
(なんも、なんも気にするこたあなかとよ。)
手を顔の前で振って、言う彼の顔が目に浮かぶ。

オゴゼに対してボクはちょっと偉そうにしているが、実はそんな頼りない居候
生活をしたこともあるのです。

第9章 猫にとって、絵とは、、、?  2/2 (2006.9.21記事)

家の裏に大工さんの作業場があり、雨の日などはカンナで削ったり鋸で木をきってたり、ノミと金槌で穴を開ける作業を飽かずにながめていた。
大人になったら、大工さんになろうと思った時期もあった。
とにかく、絵を描いたり何か作ったりすることが好きだった。
あるとき、「明日、図工の時間に、ビンを使いますのでもってきなさい。」と言われ、何に使うのかも解らず、一升瓶を持っていった。
ボクだけであった。
みんなは、牛乳ビンやらトマトケチャップのビンなどの小さいビンを持ってきていた。
これに新聞紙を貼り付けて、乾かしてから色を塗り飾り物を作るのである。
みんなが人形やロケットや灯台やら作る中、ボクには可愛いものがどう考えてもつくれそうになく、獰猛なイノシシを作った。
ボク自身の性格に、もっと優しさや愛嬌があれば見方もかわったのであろうが、生意気で悪戯ばかりやっていたので、特に女の子には人気がなかったから何かあるごとに、以来「イデの一升瓶。イノシシ、一升瓶。」と囃したてられた。
絵は好きであったが、県の展覧会に先生が応募してくれても、1度も賞とか佳作などもらったことがなかった。
しかし、漫画のキャラクターを描くのは得意で、一手に引く受けて、クラスの子らの下敷きに描いたものだ。
またあるとき、兄が「僕の弟」という作文を書いて、優秀賞をもらったことがある。
内容は全然おぼえていないのであるが、その中の1節が、
『人物画をうまく描いているのだが、片足がダイコン足で、、、云々。』
という表現で、兄貴の悪友たちから(ダイコン)という不名誉なあだ名をつけら
れてしまった。
ボクにとって、絵とは、、、?
絵そのものの評価より、関係ないところで茶化されたり面白がられたりした。
絵は遊びであり、好奇心だったのだろう。
その程度の才能であり、井の中の蛙であったから、美大を受けたが当然の如く合格しなかった。
誰かについて絵を学びたいという気もあまりなかったから、諦めもはやかった。
独学であったから、少し回り道をしたけどいつのまにか絵描きになった。
そいう経緯があり、いまだ応募展に出展しようとか賞をもらおうというダイソレタ考えをもたぬ。
マークトエインのいう遊びの部分から絵を描き、世界を放浪して気に入ったところを描いているのである。
オゴゼが、絵を眺めている。
母親のように、
「うまいね、上手かね。」
とでも思っているのであろうか。
気違いだったゴッホを、いまさら(炎の画家、天才画家)ともてはやす評論家よりおまえの感性視点価値観世界観哲学好奇心審美眼でみてくれたほうが、よっぽど、絵の評価ということでは真実に近いし、嬉しい。
『よし、今日は魚料理を作って、一緒に1杯やるか。』
あらためて、自分の絵をオゴゼの視線から見ようと腹ばいになってみると、額装のガラスは鏡になっていて、己のニヤケタ顔が映っていた。
なんとなく、芽生えてきた友情らしきものに、ビッビビーとひびがはいるような気分だ。
『何が、審美眼だ。テメーは、単なる駄猫か?』
怒ってもしかたがない。
『猫に、小判。』とは、この事かと諺の解釈が身にしみてわかった。

第9章 猫にとって、絵とは・・・? (2006.9.14記事)

第9章 猫にとって、絵とは・・・?

仕事とは、人間がしなくてはならないものから出来ていて、遊びとは、人間がしなくてもいいもんから出来ている。-と
ボクの好きなアメリカの文豪マーク・トウエインはいう。
絵を描くというのは、これは仕事であろうか。
人間がしなければ、自分が困るあるいは他人が困るという種類のものではなさそうだ。
だから、「気ままで羨ましい。」とか「自由でいいね。」とよく言われる。
まったくそのとおりであるのだが、壁にぶつかってあーでもない、こーでもないと悩むときがあるが、それは自己満足の観点からであり、アリが歩き出すとき、どの足を一番最初に動かすかというのに似ている。
どっちでもいいことだが、左の真中の足から動かすという説があるが、興味ある人は観察してみてください。
リバーデール アート協会主催のグループ展の搬入の日が近づいてきたので、2点絵を床に並べて決めかねている。
その絵をオゴゼが、正座して眺めている。
猫が絵の前に寝そべっていること自体はなんの変哲もない日常の風景であるが、「うーん、絵を鑑賞している。」という風情は、なかなか情緒的である。
猫の目は、よく見える。暗がりだって見える。審美眼だってあるだろう。
眉唾ものというが、手で顔をこすって確認し納得しているようで、嬉しい気持ちになってきた。
また、小学生の頃を思い出した。
ボクは小さいときから絵を描くのが好きで、母親が集めた広告の紙の裏に絵を描いた。
彼女に審美眼があったかどうかは知らないが、いつも(うまいね、上手かね。)と誉めてくれた。
しかし、今考えると、学業優秀な兄に比べると、図画工作以外取柄のない子供だったからかもしれない。
その学業だが、通知表は毎度散々なもので、5段階評価の1は電信柱、2はアヒル、3はダルマだったかな?-で、それらばっかしだった。
通信欄には、
(授業中、よそ見をしてることが多い。)とか、
(宿題を、忘れることが多い。)とか書かれていた。
勉強をしたという記憶がないので、(多い)という表現は心優しい先生の妥協の言葉ではなかろうか。
また、授業がはじまっても(国語の教科書を出しなさい。)と注意されるまで準備ができない。
ということを書かれたこともあった。
これに関しては、ボクにも言い分があって、小学校の担任が全教科教えていたから教壇に立ったときに、決めるものと思っていた。
だから、ボクはすべての教科書をカバンにつめて、6年間通ったのである。
ボクが時間割というものを知ったのは、中学生になったときである。黒板横に貼り付けられた1週間のスケジュールの読み方を知ったときのあの感動は、いまでもこんなすごい発明は類を見ないと思っています。
曜日と時限の組み合わせで、1年間のスケジュールが解るのだもの。それがわかっていたら、予習だって、宿題だってやった優秀な生徒になっていたかもしれないと思ったが、時間割に感動したものの、その後成績がのびなかったから、もともと暢気な人間だったのだろう。
まあ、今のボクは根気よく誉めてくれた母に感謝すべきなのだ。
               弟9章 1/2

第8章 猫の夢ひねもすのたりのたりかな (2006.9.9記事)

故郷の海を、思い出した。

春の海 ひねもすのたり のたりかな (蕪村)

今日は、この気分である。
目の前に、故郷の海がひろがった。
左手に岬が長々と伸び、右手に大きな島があってU状の湾になっています。
U状の底は長い砂浜で、それが終わったところが陸と島の細い瀬戸の水道になっていて海流が流れ込んだり流れでたりしているのです。
長崎の外海に位置した半島の辺鄙なところにあり、東京の大学を卒業した新任の先生が、長崎市から3時間40分もかかるバスでボク等の中学に赴任して来て、初めての国語の時間に、訛のない日本語で
『ここは、陸の孤島ですね。』
といわれたことを覚えている。
浜に沿って民家が並び、家の後ろからすぐに段々畑が山頂まで重なっています。
その中腹の棚田に腰かけると、穏やかな白浜が見下ろせます。
目の高さに岬の突端と島の突端が90度の角度で広がり、それを水平線が結んでいます。
水平線の向こうは角力灘で、海賊船が密貿易で活躍した東シナ海につづいています。
小学生、中学生の頃は海賊ごっこで伝馬船をこいで遊んだ海です。
平家の落人の伝説も残っているし、隠れキリシタンが潜んでいたところもあります。
その水平線の真中辺りに、背の高い尖った島と平たい台形の島が寄り添うように浮かんでいます。
母子(はこしま)です。ところが、バスが岬の突端を曲がるところから見ると、母子島がなくなり天狗島というのが浮かんでいるのです。
ちょうど天狗のお面を真横から見た形をしています。ボクはどちらの島も好きだったのですが、母島と子島が重なって天狗島に成るということを中学になって始めて知りました。
ボクにとってこの感動は、「ガリレオが、地球はまわっている。」と叫んだくらい大きな発見でした。
そんな魅力的なボクの故郷が今でも好きです。
見る角度によって形が変わる。
偏見とか固定概念。人種、民族、戦争。
頑固な絵描きとのんきな猫。
故郷とリバーデール。
地球上のことは、鳥瞰図で眺めるみたいに考えりゃあ、なんてことないのになあ。
そんなものがグルグル回って、猫の目。  2/2

第8章 猫の夢ひねもすのたりのたりかな (2006.9.1記事)

昨夜から降り始めた雪が、朝起きてみると30センチほどに積もっています。
外の気温はマイナス10度に凍てついていて、ふだん騒々しいカケスも今日は姿を見せません。
空は雲1つなく晴れ上がり、ときどき風にあおられる雪の粉がキラキラひかります。
日当たりにいい窓辺で、オゴゼとボクは肘杖ついてただ眺めています。
まるで時間がとまったような静けさです。
暖房のよく効いた部屋の中は、春の陽気な日和のようでウトウトとしながら夢をみていた。
オゴゼに起こされて目をさますと、アパートの管理人が大きなスコップを担いできて中庭の小道の雪かきを始めたところです。
『暇だろう。運動不足だろう。手伝いに行けよ。』
オゴゼの目とシッポが、その善行をうながしている。
『雪の上も歩けないくせに、生意気なことをいうな。ボクは前回で懲りているのだ。』
先日の大雪のときは、面白そうだったので喜び勇んで手伝ったのであるが、水を含んだ砂と一緒で、きれいだとか面白いどころではない重労働なのであった。
次の日には筋肉痛で体のいたるところがギシギシ痛んだ。
ボクは、見かけに浮かれて踊るほどもう若くはないのだ。
ひと仕事して散歩に出ると、玄関のところに雪だるまが立っていた。
ドングリの目玉とにんじんの鼻と長い枯れ枝の腕。古い麦藁帽子を被り、真っ赤なマフラーを巻いたまったく奇妙でお洒落でユーモラスな雪だるまである。
『しまった。ボクも手伝えばよかった。』
オゴゼのいうとおり。
遊びも仕事も工夫次第だよな、楽しくなるのは。
散歩から帰ってきてみると、オゴぜがボクの作業机の中央にドテッと昼寝している。
夢をみている気配である。
『ハハア、たまにはのんびりしろ、と言うことかな?』
ボクも机の上に足を投げ出して、とりとめもなく瞑想。 1/2

ボクの見た『夢』-2/2 (2006.8.26記事)

そこへ着物を着た猫がでてきた。
ボクを畳の上に正座させ、説教を始めた。
『アンタなんばしよっとね? ご飯食べる前に、手ば洗わんといかと。ズボンにゴシゴシ擦って、ハエんごとあるとよ。』(ハエのようだ。)
一部始終みていたのであろう。
『よそにーご馳走によばれたときは、行儀ようせんばいかんと。 ガツガツ食ったり、貝殻ば床にふつるもん(捨てるひと)が、どこにおると。』
田舎には、よくいた恐いおばさんのような気がしたし、お袋のような気がしたが、なぜかしら着物を着た猫なのである。
なぜかしらボクはイガグリ頭の小学生で、井戸の底に座らされているようにちっこいのである。
説教は長く、ガンガンガンと響くのである。しかし、また、そんな自分が、
『アイツ、また怒られてとる。 あれっ!猫に怒られとっとや。』
と、見えるのである。
『しっちょルカ(知っているか)、猫は言葉ばしゃべると。夜中、路地裏で井戸端会議ばやるっていうじゃろうもん。』
友達が、いつか自慢して話していたのを思い出した。
(ウワぁー、こりゃあ、すごい!)
怒られているのがボクで、それを見ているのがボクでシッチャカメッチャカに混乱した中で、興奮して目が覚めた。
『何だ? 夢だったか。』
なぜか、心がモガモガとくすぐったくて愉快なのである。
(猫も、言葉をしゃべる?)信じてもいいのじゃないか。
オゴゼは、単に猫語で感情や欲求を伝えているだけかと思っていたが、案外
自らの意見と倫理観をもっていて、本当は真面目な対話もできるんじゃないかと考えてみた。
そんな風にオゴゼを眺めてみると、友人みたいな親近感がわいて来た。    
 ボクの見た『夢』 ―2/2 
ギター

第7章 ボクの見た『夢』ー 1/2 (2006.8.19記事)

オゴゼは、よく寝る。
「コイツ、アホではないか」とか「病気じゃないか」とか、けなしたり心配したりする。
朝早くおきるのだが自分の用事をすますと朝寝をし、窓から景色を眺めていたかと思うといつのまにか昼寝をしている。
朝寝、昼寝、うたた寝、ごろ寝と夜の睡眠を区別して生活しているようだ。
気分次第で箪笥のうえであったり、ソファーの上であったり、日当たりのいい窓辺であったり、ボクの絵の具や筆の散らかった作業机の上だったりする。
彼女は、食っちゃ寝、食っちゃ寝、日がな一日優雅なもんだ、それにひかえ人
間のボクは、「いろいろとやることが、、、、。いや、考えることがたくさん、、、。いや、義務と責任が、、、。いや、いや、締め切りに追われて、汗を、、、流していないか?」、ヘボ将棋の下手な考え、休むに似たりーのようなことを一日やって過ごしている。
考えててみりゃあ、結果的には似たもの同士か。
最近は、ボクの散らかった作業机での昼寝やうたた寝が多くなったので、下宿賃代わりに、彼女をモデルにして絵を描きはじめた。それが、もうスケッチブック1冊になった。 
そのうち『猫展』をやって、大儲けしてやろう。
『儲けたら、マタタビのスープか、飯に鰹節の味噌汁のぶっ掛け丼をご馳走するよ。』
と、ささやけば、
『、、、、。』
シッポをとんとんと動かした。あてにしてるのか信じてるのかどうかはわからないが、了解の合図らしい。
 奇妙なまったく愉快な夢をみた。
友人宅に、夕食に招待せれて出かけていった。
お父さん(友人)と女の子が竹ひごのゴム動力で飛ぶ飛行機をつくっていた。
それを手伝い始めたのだが、手を糊でベトベトに汚してしまった。
『ご飯ですよ。』
お母さんの声でボク達はテーブルにつくのだが、椅子に腰をおろしてから手を洗うのを忘れているのに気がついた。
(これじゃ、手が汚くておかわりができない。)
ボクは、ズボンに擦り付けて汚れを落とした。
アサリのお吸い物が出てきた。 ボクの大好物である。貝がいくつも入っていて、身を食べて殻をポイポイと床に捨てていた。(いくらなんでも、現実ならばするはずがないのだが、そこが夢の浅はかさなのである。)
そこへ、着物を着た猫がでてきた。
                         (1/2)

第6章 猫のプライド。(2006.8.15記事)

またまた、小学校の頃の思い出が蘇る。
ボクは、6人兄弟(姉2人)の末っ子である。
5つ違いの3男の兄は成績優秀でガキ大将であったから、知恵も体力も敵わなかった。
悪戯でよくいじめられた。
あの頃は物が豊富じゃないかったから、分け合うとか共有するというのは当然のことであった。
例えば、母親から1つのリンゴを2人で分けて食べなさいともらうと、
『タカシ、こっちに来い。』と外に連れ出して、ポケットから工作用のナイフを取り出 して、2等分する。
『おっと、手元が狂うてしもうしもた。しかたンなか。これも天命じゃろ。』
カブキ役者のセリフのように大騒ぎしたあげく、大きいほうを自分のもので、小さいほうをボクにくれる。
晩御飯のときであった。
『タカシ! あれ、あれ何じゃろかい?』
指差して右を向かせたスキに、オカズの1切れを盗むのである。
ケンカじゃ負けるので、公儀に訴え叫ぶのであるがすでに後の祭りで、
『大きな声じゃ言えんバッテン、昼間の件義理と恩義があるやろうもん。堪忍せい。それとも、欲しかなら腹ン中あるけん、ホラ、撮れ!』
と腹を突き出して、理不尽なことをいう。
オゴゼの場合、頭をこずかれて拗ねてしまって、自分のベッドにもぐりこんでしまった。
夕食の時間になっても出てこない。
『オゴゼ! ご飯だよ。』
声をかけるたびに、ガサゴソと音はすれども姿を見せぬ。
宇治捨遺物語の中に、ある寺の坊さん達の餅つきの話がある。
その餅つきの最中にうたた寝をしてしまった小坊主が、起きるタイミングを逃して狸寝を しているのである。
餅が出来上がり声をかけられるが、1度で起きればバツが悪く、 2度目でおきればワザとらしく思われることを恐れ、3度目の声を待つのである。
『寝てるのを起こすのは、かわいそうだからよそう。』
ムシャ、ムシャと美味しそうに食べる音が聞こえてくる。
しばらく待つのだが、耐え切れなくなった小坊主は、自ら
『エイ!』と叫んで飛び起き、皆の爆笑を買うのである。
こんな故事に習い、ボクも意地悪に(ムシャ、ムシャ)と音を立てて食べながら、(猫のプライドと妥協は、どのあたりかな?)とニタリと笑ってしまった。
           猫のプライド 2/2  完