第10章 猫とボクの関係 (2007.1.14記事)
かって書生とか下宿人とか同居人とか居候という人種がいた。
家族の一員としては、非常にあいまいな立場の人間である。
ー 居候 3杯目を そっと出し
という川柳がある。
ボクの家にもいずれにあたるのか解らないが、そんな人がいた。
「タカシ!タバコを買って来い。」とか、
「タカシ!ちょっとは、勉強せい。」とか
兄貴以上に横柄であった。
オゴゼは、ボクのペットではない。
ボクの住居を、我が家同然として共有生活をしている。
以前ならばお客が来ると、どこかに隠れて出てこなかったものだが
今では主人然として迎え、足元から顔っつらまでベローと舐め上げ
て風采人格まで品定めする。
また、彼女にはボクの外出が事前にわかるようで、まとわりつき、
『ミャー、ミャー』
と鳴く。
曰く
『金もないくせに、飲みに行くの、やめとき!』
曰く
『酔っ払うと、下品な冗談や面白くもない駄洒落を言って、ヒンシュク
を買うわよ。』
曰く
『飲みすぎて、二日酔いでもう酒やめた、苦しい気分が悪い、仕事
する気にならんとぼやくでしょう。』
という具合である。
夕空に、猫の尻尾をおっ立てたような細い下弦の月が出ている。
ボクは、オゴゼの苦言、助言をふりっきって、
『猫にだって、サカリってもんがあるだろう。ボクにだって胸掻き毟りたくな
るよな夜もあるのだ。』
と家を出る。
深夜、
(うかれ猫 奇妙にコゲテ もどりけりー小林 一茶句)
帰宅すると、彼女は義理堅く正座して三つ指ついて玄関で出迎える
のである。
『家主が、機嫌よく帰ったら招き猫にならんと、いかんヨ。』
生意気に、多少不機嫌である。
『そうか、土産か?忘れとった。ごめん!代わりにシャンソンを聴かせて
やろう。』
と、越路吹雪の(愛の賛歌)を歌ってやると、騒音程度にしか思わず、
サッサと自分のベッドにもぐりこんでしまった。
『コレ、コレ。優しさが解らぬと、来世も猫に生まれるぞ。』
ボクは、高校入学と同時に下宿生活に入った。
2年生になったとき、同級生の辻川君が、
『オイの家で、自炊ば一緒にやらんか?』
と言った。
ボクの下宿代と彼の生活費を合わせると、うまい物が食えると言う。
が、ボクは炊事洗濯の経験など皆目無かった。
彼は、両親が長崎市内に在り、実家でおばあちゃんと2人暮らしであ
ったが、昨年亡くなられたのである。
『飯の炊き方や味噌汁の作り方は、オイが教ゆるけん、心配なか。』
ボクらは、食い盛りの欠食児童であった。
また、2人とも美大を受験しようと思っていた。
一緒に絵が描けるというわけである。
彼の家は広い敷地の中に建てられた旧家で、裏には竹林があり風の
強い日には、ザワザワとお化けが騒ぐような音がする。
淋しくて怖くてとても独りじゃ住めないが、腹いっぱい食えるということと
絵が描けるという魅力がまさった。
ボクは、彼に負んぶに抱っこの自炊生活の居候身分の2年間であった。
夜、7時8時頃になると先輩同級生後輩がやって来て、将棋を指す者
、受験勉強する者、タバコを吸う者が得手勝手に過ごしていた。
いま、振り返れってみれば、猫の集会所のようであった。
辻川君とは、卒業以来音信不通である。
当時は何も考えず世話になりっぱなしで、感謝しなければならないことば
かりである。
(なんも、なんも気にするこたあなかとよ。)
手を顔の前で振って、言う彼の顔が目に浮かぶ。
オゴゼに対してボクはちょっと偉そうにしているが、実はそんな頼りない居候
生活をしたこともあるのです。
コメント